てるてるブログ日記

音楽とか読書とか、

幸せについて本気出して考えてみるためのきっかけ

 

夏休み中、今年一番刺激を受けた人に出会った。

同じ大学に通うHさん。同じ授業をとる仲間と飲みにいった時にその人はいた。

ほぼほぼ初対面だったけど、隣に座ると人のことをとても気遣ってくれる人だとわかった。

 

僕の通っている学部は通信教育部だから僕と同世代の人はほとんどいない、ほとんどが年上で社会人経験をしていて、仕事の合間を縫って大学に通っている人がほとんどだ。

だから飲みの場にいても、そうした人たちのこれまでの経験、思いを聞くのはいつも楽しいし、勉強になる。

 

そうした中で自然と話題はHさんに移った。彼は最初、俺の話なんかという風に話を拒み続けたけど、結局折れて自身の話を聞かせてくれた。

 

結論から言えば、彼は中学時代相当ないじめを受けていた。学校にいけば机には花が飾られていたこともあったという。きっと僕には耐えられないほどのものだった。

原因は彼がある事情のために学校を休まなくてはならない日が多くあったからだという。でも彼は耐え抜いた。耐えることができたのは、彼には夢があったからだという。それを叶えていつか見返してやろうという思いしかなかった。

 

しかし、現実は残酷なもので彼はその夢を叶えることができなかった。

 

 

でも話を終える時、彼は僕たちに言ってくれた。「去年この話を話したら、泣いてくれる人がいた。こうして語ることで、みんなに認めてもらえるようになって、やっと俺生きててよかったんだなって思えるようになったよ。」と。

 

 

僕にとって生きる目的は幸せになることだと信じている。多くお金を稼ぐことでも、結婚をして良い家庭を築くことでも、自分の欲しいものを手に入れることでもそれは可能であるとは思う。

けどそれができなかった時、人は不幸になるのか。

貧乏になってしまった時、別れを経験した時、何もかも失った時、それは不幸なのか。僕は考える、それだけじゃないんだと。幸せはもっと別の形なんじゃないかと。

 

例えば僕は教師を目指しているから、受験のためだけの学力至上主義ははっきり言って嫌いだ。その価値観は無意味な優越感を子供達に与え、逆に無意味な劣等感を子供達に植え付ける。

高校受験に失敗したらその子のやってきたことは無意味であったかのような学校教育はいらない。学校という場は彼らが将来幸せになることが大切なんだと教えなければならない。そのヒントをHさんはくれた。

 

失敗して終わりじゃない、自分の思い通りに行かなかったひからと言って不幸じゃない。

絶対それには意味がある。幸せになれるから大丈夫だ、諦めるな。そう自信を持って語れるヒントをこの夏の出会いは教えてくれた。